田村亮という人の人間力

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最終更新日 2023年5月12日 by plexus

成功する経営者には二つのパターンがあるといいます。
一つは、絶対的なカリスマ性で周りをぐいぐい引っ張っていき、多少強引でありながらも結果を残していく強くたくましい経営者タイプ。
もう一つは、どこか頼りなく、周りを先導していくタイプではないにもかかわらず、その人間力に惹かれてなぜか回りに優秀なブレインが集まってきて支えられて会社を大きくしていけるタイプ。
田村亮という人は、明らかに後者のタイプではないでしょうか。

 

1993年にロンドンブーツ1号2号がデビュー

ロンドンブーツ1号2号がデビューしたのは、1993年です。
同じ苗字の二人は、兄弟だと思われることもあったとか。
そんなロンドンブーツ1号2号の2号である田村亮さんを私が認識したのは、1997年に放送を開始したプラチナロンドンブーツという番組の「がさ入れ」のコーナーでした。
彼女の浮気を疑っている男性からの依頼で、女性の自宅を家宅捜索し、浮気に通じるような怪しいものがでてこないか、ロンドンブーツの二人がどんどん秘密を暴いていきます。
最後は依頼者の男性に、彼女がシロ(浮気をしていない)かクロ(浮気をしていた)かを教えて、暴露するというような、なんとも尖った企画でした。
当時中学生だった私は、少しお姉さん、お兄さんたちの繰り広げる、浮気だとか、略奪だとか、黒だとか白だとかいう世界に興味津々で、親に隠れてこっそり楽しみに見ていました。
がさ入れは親が子供に見せたくない番組の代表格として有名だったため、リビングで大っぴらに見ているわけにはいかず、こっそり自室で小さなポータブルテレビで見ていたのを覚えています。
その背徳感も相まって、毎週楽しみにしていたものでした。
当時のロンドンブーツ1号2号といえば、田村亮さんはド金髪で、田村淳さんはド赤髪の派手目スタイル。
見た目もそのころ人気のあった爆笑問題などのいわゆる「ボキャブラ芸人」といわれるような少し地味目な芸人さんたちとは違い、それはそれはスタイリッシュ、顔もハンサムなことこの上なく、アイドルのような人気をはくしていました。
しかし、「がさ入れ」を見ていたような少女時代には気づかなかったのですが、だんだん自分も成長していくにつれて、そんなとんがった見た目とは裏腹に、田村亮さんの持つ雰囲気が全然とんがっていないことに気づき始めます。
とんがった田村淳さんのお母さんのような優しさ、お父さんのような大きさを持っていることに気づき始めるのです。

 

放送ギリギリのような企画が目白押しだったロンドンハーツ

その後放映されはじめたロンドンハーツも、今では、放送ギリギリのような企画が目白押し。
自分の彼女をスティンガーと呼ばれるホストにナンパしてもらい、その浮気心を確かめるという企画だった「スティンガー」や、露出高めな美女を歩かせて男性の視線を観察する企画、正直かなり下品といわれてしまいそうな企画ばかりでした。
でもこんな企画の中で、なぜか品を保ち、番組全体を少しやわらかく上品なものにしていたのが、田村亮という人の人間力でした。
彼がもしこの番組にいなかったら、ただただ人の汚い部分を露呈するだけの、いやらしい番組になってしまっていたのかもしれません。
そこにいるだけで雰囲気を和らげる、そういう人なのではないでしょうか。

最初に述べたように、彼の人間性はどこか頼りなく、周りを先導していくタイプではないのに、その人間性に惹かれてなぜか回りに優秀なブレインが集まってくるタイプです。
優秀なブレインというのはやはり、田村淳さん。
それを決定づける出来事は、記憶にも新しい闇営業問題の時の、田村淳さんの対応でした。
彼は最初、相方の亮から嘘の説明を受けていたことにショックを受け、「お前を軽蔑する」と厳しく糾弾しました。
これは、それだけ彼を誠実な人間だと思っており、信じていたからこその言葉だったのです。
後に真実を伝えられた際には「自分の保身の為に正直に言えずに苦しんでたのは電話越しにも伝わってきた」とその様子を語り、彼を信じることを貫きました。
そして、髪の毛をコンビ結成当初のイメージカラーであった真っ赤に染めて会見を行い、初心にもどって二人でやりなおしますといった田村淳さん。
その姿を見て、二人の絆を感じ、感動したのは私だけではなかったでしょう。
相方の不祥事に対し、ここまで手厚い対応ができることに賞賛の言葉が集まっているといいます。

 

まとめ

それはもちろん、田村淳さんという人の対応力でもあるのですが、それよりも、
その頭のよい敦さんを、そこまで絶対的な味方につけることができた田村亮さんという人の人間力の高さを示しているものではないでしょうか。
誠実であること、嘘をつかないこと、それを貫いた結果、周りが助けてくれる人になれたのです。

人は一人では生きていけないとよく言われますが、どうせ一人で生きていけないのであれば、
人に愛され、助けられながら生きていきたいと、そう感じます。
助けて、と自分から言わなくても助けてもらえる人、そういう人間力が彼の魅力であり、
不祥事がありながらも、厳しい芸能界で残っていける理由なのではないでしょうか。

田村亮介 さいたま市